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2011年 10月 25日

あのひから

気がつけば、あの地震から、もう7月以上が過ぎた。直後の余震の中で、常に揺れているような気分になり、この東京の買い占めにトイレットペーパーの残量をチェックしながら暮し、ガソリンを補充できない可能性と途中で大きな余震が来た場合に動けなくなる可能性を考えて、遠出をひかえ自宅に引きこもった。

地震発生の次の日、近くのスーパーの2階の家電売り場の前を通りかかると、そこにある大型液晶テレビ画面が、鮮明な津波の様子を映し出していた。小さなブラウン管のテレビでしか画像を見ていなかったので、その映像に、私は立ち尽くしてしまった。これはいったい・・・。






そして、原発の切迫した状況。本来なら初っ端から緊迫しているべきだったのだろうが、そうなの?っと思ったのは、15日に打ち合わせに行こうとした時。前々から決まっていた打ち合わせだったのだが、クライアントから電話があり、外出したくないのなら打ち合わせを延期しても良いのだけど、という打診だった。

外出しない方が良い理由は何?



地震から1週間、2週間と時間が経つにつれ、twitterからカジュアルな楽しげなささやきが消えてゆくのが悲しかった。

キャンセルがはやった。

ラジオからJ-waveのピストン西沢君が、お家に帰って電気のスイッチをあなたが入れたとたんに関東中が停電するかも、というのを聞いて、マジメに電気をつけるのをためらった。

元々、わが家は照明は暗いし、コンセントも抜いてあるし、使っていない回路はブレーカー落としてあるので、これ以上どうやったらもっと節電が出来るのかと真剣に悩んだ。節電したかった。

幹線道路の街灯は消され、高速のジャンクションの照明さえも消された。首都高2号線の荏原の出口は、暗くて気がつけない程で、危うく出損ねる所だった。

当初は計画停電地域に入っているとのことで、停電した時の事をあれこれ考えたけど、結局23区内ほとんどは計画停電区域外で、それはそれで辛かった。


私が立ち尽くしたのと同じ映像を見た世界中の人達は、私と同じように立ち尽くしたのだろう。海外の友人達が気遣って連絡をくれるのに、返事を書こうとしては涙が出て書けなかった。人の情に触れるとはこの事だ。ただただ、気遣ってくれる事が嬉しかった。

ただ、あの映像は、私の居る東京の事ではない、っとだけは知らせないと、、、、私は無事だと知らせないと、、、、ありがとう。



2日前の日曜日、外出先から運転して帰り、首都高速2号線の荏原の出口を通過しようとして、照明がついている事に気がついた。・・いや、この出口の照明はついていないと危ないから、つくようになって嬉しい。

でも、あの日からあった様々なできごとが、この出口の照明と引き換えに消し去られてしまうのではないかと不安になる。

いや、消し去られるのではないよね。

私が覚えている事が重要なんだ。

by saika_divo | 2011-10-25 18:51 | general


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